日本の大学は文系と理系に分かれていますが、これは世界的には珍しいことです。哲学とは、物事の真理や本質を追求する学問で、「なぜ?」を突き詰めて考えることが核心です。哲学を木に例えるなら、幹は自然科学、枝葉は科学や文学などの学問です。小学生のうちにこの思考法を身につけることで、形而上学への理解が深まり、中高生で出会うデカルトの名言「我思う、故に我あり」にもつながります。
なぜ日本の大学は文系と理系で分かれているのか?
日本の大学では、文系と理系に明確に分かれる仕組みがありますが、実はこのような区別は世界的には珍しいです。
多くの国では、学問の垣根を越えて学ぶことが奨励されており、文理の区別が大学教育の中心にはなっていません。
では、なぜ日本では文理が分かれているのでしょうか?
その背景には、歴史的な要因や教育制度の影響が関係しています。
日本の教育制度は明治時代に始まり、その際に西洋の教育モデルが取り入れられました。
しかし、その過程で理系の技術や知識が特に重視されました。
その結果、理系が社会の発展を支える重要な分野とされ、文系と理系が区別されるようになったのです。
ただし、現代においては、文系と理系の融合が必要とされています。
たとえば、AIやビッグデータの分野では、理系の技術と文系の人文知識の両方が求められます。
このように、学問の枠を超えた総合的な知識が重要視される時代が到来しているのです。
哲学とは何か?根源を追求する学問
そもそも「哲学」とは何の学問なのでしょうか。
哲学は、物事の本質や真理を追求する学問です。
具体的には、「なぜ?」という問いを深く掘り下げ、体系的に考え抜くことを目指します。
私たちが普段抱く疑問の根本には、哲学的な問いが潜んでいます。
たとえば、「私はなぜ生きているのか?」、「世界はどのように成り立っているのか?」といった問いです。
なぜなぜ質問攻めを親子で経験したことは代々受け継がれているのでしょうか。
哲学を「木」に例えると、幹は自然科学にあたります。
つまり、物事の基本的な構造やルールを理解しようとするものです。
その枝葉が様々な学問、たとえば物理学や医学、文学などになります。
こうした学問が広がり、さまざまな知識が枝葉のように成長していくのです。
哲学の基本を学ぶことは、学問全体の根を理解することに通じ、他の分野の学びも深める土台となります。
デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉は、哲学史において非常に有名です。デカルトは、1645年にこの思想を発表し、45歳のときに哲学の世界にその名を刻みました。彼は数学が得意で、数学的な手法を使って物事の真理を探ろうとしました。この「なぜ」を徹底的に考える姿勢こそ、哲学の本質であり、今日でも多くの学生に影響を与えています。論理的思考力が相当ある方なのでしょう。
哲学を学ぶことの重要性
小学生のうちから哲学的な思考を育てることは、将来の学問や人生において非常に有益です。
形而上学(けいじじょうがく)という考え方を理解することで、「なぜ?」という問いを常に考え、物事の背後にある根本的な理由に目を向ける力が養われます。
中高生になると、哲学の具体的な概念に触れる機会が増え、デカルトのような哲学者の名言に出会うでしょう。
また、哲学を学ぶことで、単に知識を暗記するのではなく、物事を深く考え抜く力が育まれます。
これは、将来どの分野に進むとしても、重要なスキルとなります。
ぜひ、子どもと一緒に「なぜ?」を考える時間を持ち、哲学的な思考を楽しんでみてください。
■哲学の入門書
・小学生のうちに読んでおくといいです。
中学入試で出題されています。よくわからなくても読み切ることが大切です。
ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙 [ ヨースタイン・ゴルデル ]
・新装版な上下巻に分かれています。(上巻)
→半分ずつなので、読みやすいです。
新装版 ソフィーの世界 上 哲学者からの不思議な手紙 [ ヨースタイン・ゴルデル ]
・新装版な上下巻に分かれています。(下巻)
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