飛鳥時代の九九の「木簡」が奈良県の藤原京跡で見つかった話

飛鳥時代の九九の「木簡」が奈良県の藤原京跡で見つかった話

九九の勉強は老若男女問わず、日本であれば教育を受け、使いこなせますが、いつごろからあったのだろうかという疑問は日々の生活の中でかき消されていました。飛鳥時代から既に使われていたことが判明したということで驚きです。The story of the “wooden tablet” of the ninety-table table 。

目次

奈良県の藤原京跡で見つかった「木簡」に九九の一覧表が!

→朝日新聞デジタル ​飛鳥時代の役人も暗記に苦労? 最古級の「九九」一覧表の木簡か

木簡、(もっかん)とは、古代の日本や中国で使用されていた木製の札や板のことです。

主に記録や文書、物品の管理などに使われており、紙が普及する前の重要な情報媒体でした。

木簡には、墨で文字が書かれ、税の徴収記録、物資の運搬指示、役人への連絡事項などが記されています。

日本では、飛鳥時代から奈良時代にかけて多く使用されており、特に奈良県の平城京跡から多数発見されています。

これらは当時の政治、経済、社会の様子を知るための貴重な資料として、歴史研究において非常に重要です。

また、木簡は軽くて安価に作れるため、当時の役所などで日常的に使用されていました。

しかし、書く面積が小さいために、長い文章を刻むのには適していませんでした。

そのため、簡潔な指示や連絡に使われていたと考えられています

「米→銀→硬貨や紙幣→仮想通貨」の価値の流れと同時に「木→紙→データベース」の流れは受験生として押さええおきたいですね。

四則演算は当時の相当の教養だったはず。

古代の役所に相当する場所に置かれたり、貼られていたのでしょうか。

米の計算に使ったのでしょうか?

租庸調・雑徭の時には、「九九」で計算していたのですね。「はちじゅういち」と読んだのでしょう。

木簡の画像がわかりやすいお勧めニュース

実物と解説は、こちらを子どもに見せてあげてください。わかりやすいです。

FNNプライムオンライン 
『九九八十一』『四九三十六』1300年以上前の木簡に 実用化された最古級「九九の一覧表」の一部か 赤外線で文字浮かぶ

ちなみに聖徳太子がもっていたものは「笏(しゃく)」といいます。一尺=30cmくらいと覚えておくといいでしょう。今で言うメモ帳やTodoリストのようなものですが、使用できる人は文字の読み書きができる身分の高い人だったということ。特に重要な儀式や神事のときに用いられたので、次第にそれ自体が権威の象徴の意味合いを帯びていきます。象牙製と木製があり、形状でも身分を表すようになっていくそうです。両方とも四角形は天皇や上皇だったそうです。ちょっとした時に親子で確認してみてください。

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